【職人 川上健の仕事観】AJINAのアイテムがちょっとだけ特別である理由

小さなころのアソビゴコロを忘れずに!
AJINAのアイテムがちょっとだけ特別である理由

 

こだわりなんて、ないわけがない。でも…

ありがたいことに、これまでWEB媒体や新聞、雑誌などで度々取材していただきました。
そのたびに「AJINAさんのこだわりは何ですか?」という質問を、必ず、といっていいほど投げかけられるんです。

でも実は、そのたびに「なんて答えたらいいんだろう」と考え込んでしまいます。

もちろん、AJINAの全商品は企画・デザイン・制作をすべて僕が行っているので、たとえば素材選びだったり、デザインだったり、ひとつひとつが試行錯誤の結果だし、適当でいいや、なんて思った部分はひとつとしてありません。

つまり、すべての商品とすべでのデザインがこだわり。
だからといってそれを「こだわり」だと語るのも違和感があります。

そんなことはものづくりに携わる人間としては当然のこと。

だから結局「AJINAさんのこだわりは何ですか?」と質問をされると、うまく答えられずに、「全部手作りで…」だとか、「素材が…」という当たり障りの答えをしながら、心の奥で「何かが違う…」とモヤモヤする。

モノを作るのは好きだし、向いていると思うのだけれど、その作ったモノについて説明をするっていうのは、僕にとっては容易ではないことなんです。

 

スクラップ&ビルド!手を動かして、作って、壊しての繰り返しで学ぶこと

思い返してみれば、小さい頃からそうだったかもしれません。
小学校の授業なら、図画工作。図画というより、断然、工作のほう。頭を使う勉強は、あんまり好きになれなかったかな…。

好きなおもちゃも、レゴ、ガンダムのプラモデル(略してガンプラ 笑)、田宮タミヤのラジコン。
完成しているモノを見ると、それがどうやってできているのかが気になる。「こう作られているんだよ」と説明されても、自分の手で分解しなければ気が済まなかった。

ドライバーで分解して中身を見て、はじめてその仕組みを理解する。ただ、分解してからそれを元に戻せなくなって、親に怒られる(笑)。

「モノを作る」ことになら、いくらでも夢中になれた。その意味では、今とあんまり変わっていないのかもしれません。

 

ガンプラに夢中になった少年は、やがて車の整備士に

「手を使うことを将来の仕事にしよう」と思って、高校卒業後は自動車の整備の専門学校へ。在学中に国家資格を取得して、卒業後は自動車整備士として働きはじめました。

自動車を解体したり、パーツを修理したり、それこそ油まみれになりながら仕事をする毎日。
自分が整備をした車にお客さんが乗って、公道を走るわけですから、万が一にもミスがあったら大変なこと。常に緊張感を持って仕事をしてました。
それに、自分が手をかけて整備をした車に乗っている人がいるって思うと「自分の手で一人前の仕事をしている」という実感や手ごたえもありましたね。

 

若者は整備士を辞め、オーストラリアへ旅立つ

自動車整備士の仕事を続けていくうちに、漠然ながら「この仕事を一生続けていくのかな」と思い始めるようになりました。
繰り返しの毎日、なんて言うと青臭いのかもしれませんが、要は若かったからでしょう。
「もういいや!」って勢いで仕事を辞めたんです。
べつにプータローをやるつもりはなかった。そのときに知った“ワーキング・ホリデー”の制度を使って、オーストラリアへ行きました。

東京生まれ・東京育ち。いろいろな友達と出会って話しているうちに、もっと外のことに目を向けたいと思いました。とにかく何かぜんぜん知らない場所で、新しいことをはじめたかったんです。
勉強はあんまり好きじゃなかったけど、英語は好きだったし、海外には昔から興味があったので、絶好のチャンスでした。

オージーたちの自由さに囲まれ、若者が学んだこと

オーストラリアの生活は、本当に自由だったし、面白かった。
向こうの人たちの考え方とかファッションなど、もう全部が日本とは違っていて。そのスタイルをカッコいいと思ったし、のびのびと人生を楽しんでるな、っていう感じがしたんです。
現地の人は、自分が心地いいとか今やりたいってことを最優先にするから、天気がよければサーフィンしたり、お酒を飲んだり、いい意味で仕事熱心ではない…のかな。

自分と同じようにワーキングホリデーに来ている日本人もたくさんいて、みんなが同志って感じで仲良くなることができました。20代前半の話なので、もう10年以上経っているけど、未だに連絡取り合ってるほど。おそらく日本ではなくて、オーストラリアで出会ったっていうのがよかったのかな。みんな変で、面白い人たちばっかり。そんな空気は自分にも「自由でいいんだ」って思わせてくれました。
実は、奥さんと知り合ったきっかけもこのワーキング・ホリデー。彼女も同じように日本から来ていたメンバーのひとり。

公私ともに、人生の大きなターニングポイントだったかもしれませんね。

サラリーマン生活とバイク事故で大怪我を負った話

1年間のワーホリから帰ってきて、もちろん仕事をしなきゃってことで、知人のつてを辿ってサラリーマン生活をはじめました。
オフィス相応のきちんとした格好をして、ネクタイを締めて出勤。パソコンを使ったいわゆるオフィスワークははじめてで戸惑ってばかりだったけど、一緒に働く仲間や上司もいい人たちばかりで、居心地のいい職場だったなあ。

この頃、ひとつの暗い影が・・・

バイクで大怪我をしたんです。
新宿で買い物をして、文京区の自宅まで帰る途中に車と衝突。
ちょうどその日は大雨で、自分が停止しているところに視界不良で車に突っ込まれたので、こちらに落ち度はありません。(これは後日、警察や保険会社とのやり取りでも証明されています)

衝突されたのは下半身だったので、意識はしっかりしていました。だから今でも覚えています。
道路にバイクと自分が横たわっている。自分の足がありえない方向に曲がっていて、痛みを感じる以前にこれが現実だと受け止められない感覚。
そんな中、誰かが呼んだであろう自分のための救急車のサイレンが、少しずつ大きくなってくる。

…もう歩けなくなる?これからどうなる?

古傷のうずきが、あの日のことを思い出させる

こればかりは「不幸中の幸い」という言葉が適切です。
命に別状はありませんでした。事故後の数年は足が不自由で、引きずって歩くような時期もありましたが、それも時間の経過とともに徐々によくなり、今ではすっかり回復しました。
ただ、天気の悪い日は、怪我をした部分がだるくなるんですね。もしかすると、古傷が残っているのか、自分の気持ちの問題なのかわかりませんが、そんなときは、あの事故のことを思い出します。

ちなみにそれからバイクには乗っていません。
家族から「もう二度とバイクには乗らないで!」ときつく言われてるし、自分自身も怖いから一生乗らないとは思います。でも、バイクを嫌いになったってことはなくて、かっこいいバイクを見かけると、「乗ってみたいなあ」って思っちゃうんだけど(苦笑)。

0からやり直すには最後のチャンスかもしれない

会社勤めは事故の後も続けました。職場の方々の理解もあり、みんなが助けてくれて本当にありがたかったです。

でも、そのときもどこかでやっぱり「自分のやりたいことをしたい」と思っていたんです。
会社で働くことが決してイヤなわけじゃなかったけど、今の仕事を本気で楽しんでいるかって言えば、それも違う。

どこかで今の自分に納得できていない、もうひとりの冷静な自分がいたんです。

バイク事故にあったから?いい年齢になったから?
おそらく明確に「これ」という理由はなくて、子どもの頃から自分の胸の奥に眠っていた感情が、我慢できなくなって飛び出してきたんだと思います。

それは幼い頃に、自分が遊んでいたレゴとか、ガンプラとか、田宮のラジコンとか、ミニ四駆とか。そういうおもちゃを作り上げたときの達成感や、親に見せてほめられたり、友達から「すげー!」って言われたときの喜びだっり、そんな気持ちを忘れられなかった。

そういう感情をやっぱり求めてたんだなって、今になって思います。
そして、そんな気持ちが持てることを、一生の仕事にしたかったんです。
当時、○歳。

おそらく何かを0から学び直すには、きっと最後のチャンスだったと思います。

あれ?新しい世界に飛び込むことを、誰も反対してくれない…

実を言うと、素人のお遊びじゃないけど、たまに休みの日にアクセサリー作りはしてたんです。
簡単にできるキットが売っているし、本やネットで調べて、自分なりに勉強をしたり。

あるとき、これも友達の紹介で祐天寺にある「あるじゃん」というアクセサリー業界では有名なお店の方とお話させていただく機会がありました。
ここのアクセサリーは、本当にかっこいいんです。
デザインや素材はもちろんのこと、オーナーさんの雰囲気とかカリスマ性とか、当時から自分の中で憧れていたお店、ブランドのひとつでした。

それで覚悟を決めて、サラリーマンの仕事を辞めて、弟子入りのような形で働かせてもらいました。

仕事を辞めるって会社の人に伝えたときも、家族に伝えたときも、変な話ですけど、誰にも反対されませんでした。…あれ?自分、必要とされていなかったのっ?
裏を返すと、自分で思っている以上に、まわりの人から見てもオフィスワークって向いてなかったみたいです。
だから「会社を辞めて、シルバー職人の修行するためにお店で働きます」っていうと、「そっちのほうが向いてると思うよ。がんばって!」って応援されたりなんかして…。

そうやって送り出されると、もうあとには引けないっていうか、戻る場所はないんだな、って覚悟を決めました。

祐天寺の人気アクセサリーショップで学んだ7年間

いざ工房で働くようになると、もう大変。
今まで自分で作ってきたのって、どんなにうまくできたとしても素人レベルで、当然お客さんからお金をいただけるようなものではない。

あるじゃんは、古くからの目の肥えたお客さんがいるし、オーナーをはじめ、経験豊富なデザイナー・職人さんたちに囲まれ、毎日がプレッシャーとの戦い。
少数精鋭のお店なので、接客もしなきゃいけないし、お客さんのオーダーにも答えないといけない。そして何より、シルバー・革の職人としての技術を学ばなくてはいけない。全てを吸収するために無我夢中の毎日でした。

あるじゃんにいたのは、7年間。ただ、思い返すとあっと言う間で一瞬の出来事みたいな感じでした。
あるじゃんの皆さんには、家族同然に接していただいて、言葉で言い表せないくらいたくさんのことを教えてもらいました。

自分の看板を背負って、自分の責任で商品を作るという覚悟

給料をもらって、業界内でも人気の店でずっとやりたかったモノづくりができるのだから、それでいいじゃないか?
周りからそう言われたこともありました。結婚もしていましたし、養うべき家族がいるのですから、実際その道が「安定」というのかもしれません。

それでも独立しようと決心したのは、やっぱり自分のお店が欲しかったから。
自分のブランドを持って、自分の名前を出して、商品を作って、お客さんに買ってもらい、メンテナンスも含めて長くお付き合いをするということに憧れがあったんです。

お店に勤務していると、その看板にどうしても甘えている部分もあります。
自分が作ったものを、責任を持ってお客さんまで届けたい!
そのために、7年間一生懸命修行をしたんですから。

マネークリップ専門店という面白い試み

独立してまず最初に行動したのは、当時少しずつ出始めていたネットショップを立ち上げること。
これはWebの得意な友だちに手伝ってもらって作り上げました。

もちろん、独立をしようって決めたわけだから、アクセサリーつくりの腕に自信はあったけれど、ネット上でお客さんに自分のことを、自分の商品を知ってもらうには、“幅広くいろいろ取り扱っているアクセサリー屋”さんじゃダメだと思いました。

そのために選んだのは、マネークリップ。

マネークリップって、お札をはさむものだけど、シルバーで作るとアクセサリーにもなるわわけだから、ファッション性と実用性が求められるわけです。いろんな細工ができたり、逆にシンプルに作ったりできて面白いアイテムなんですよね。

あとは、一緒に立ち上げた友人からの「ネット上で“マネークリップ”というキーワードで上位表示させられれば、アクサスも増えてたくさんの人に見てもらえる」、というアドバイスにも「なるほど!」って思いました。
おそらく、あの頃に自分以上にマネークリップについて考えた人はいないんじゃないかな?それほどまでに毎日マネークリップのことばかり考えてました。
いろんなお店にいって、ブランド品から廉価品までたくさんのマネークリップを見て、来る日も来る日も研究をしました。

そして、実際に手を動かしながら、マネークリップを作ってみて、思い通りいかないところを直して、試作品を自分で使ってみたり、友達に意見をもらったり…。

そうしてやっと自分でも納得がいくマネークリップが出来上がり、日本初のマネークリップ専門のネットショップ マネークリップ.com をオープンさせたんです。

 

自分の作ったマネークリップがたくさんの人に受け入れられた!

ものすごく幸せなことに、インターネットを通じてたくさんの方に購入していただきました。

そして、

「こんなマネークリップを探してました!」
「(こえ)」
「(こえ)」

モノづくりに関わってから、こんなに多くの嬉しい言葉をもらったことはありません。もらったメールは何度も見て、プリントして壁に貼ったり、何時間もかけて使い方やお手入れ方法をメールでアドバイスしたり…。

うちの商品は全部無料保証をつけています。
たまにオープン当初にオーダーいただいた方から、磨き直しや曲げ直しのオーダーをいただきます。

「繰り返し使っているからメンテナンスしてもらえる?」
そうオーダーをいただくことは最高の喜びです。だって、自分が作ったものを大切に使っていただけていることですから。

もちろん、自分としては一生モノのアイテムになるように作ってます。
一生モノのアイテムになれるということは、実際に一生モノのアイテムとして使っていただいているお客さんにめぐり合えているということです。

モノ作りに携わる人間として、こんなにうれしいことはありません。

商品を増やしながら、新しい素材やお客さんと出会って

お客様からの「こんなデザインできますか?」「こんな石・ストーンを入れられますか?」という要望に応え、どんどんマネークリップの種類を増やしてきました。そして革の勉強もしたり、お客様と接することのできるイベントに出店したりを積み重ね、今は自分の工房を持つことができました。

指輪やネックレスといったアクサリーの定番から、iphoneケースやパスケース、ほかにはアンクルバンドといったちょっとユニークな商品を作って楽しんでます。
それこそ、マネークリップを購入したお客さんが「AJINAのマネークリップに合う小銭入れが欲しい」と言ってくださって小銭入れの注文をいただいて、また次には「お揃いで名刺入れも欲しい」…。そんなふうにAJINAブランドを気に入っていただるのことは、本当に大きな喜びです。

最近では、特注品のオーダーも多いです。
お客さんの要望を聞くところがスタートですが、言われたまま作るんじゃなくて、よりかっこよくするため、使いやすくするために、提案させてもらったり。

あとは、革・シルバーの教室を定期的に開いてます。
市販されている商品だとイマイチしっくりこない。 自分のアイデアをカタチにしたい。 そういう人たちのお手伝いができたらな、って思って。
ハンドメイド作家などの副業として考えている方や、革職人・シルバーアクセサリー職人を目指す方とか、ホント昔の自分みたいに、どんな形でも自分の手で何かを作りたいって人を応援したいし、その人から刺激をたくさんもらえたらな、って。

また、ネットやイベントなどを通じて自分と同じアクセサリーの作り手さんとも知り合う機会も増え、情報交換…という名の食事会をしたり、同業者でライバルでもあり、仲間でもある人たちとの交流はホント楽しいです。

 

もっといいものを届けたい!もっとかっこいいと思ってもらいたい!

たぶん、この感覚がずっと欲しかったんです。
一生懸命作ったものを誰かにかっこいいって言ってもらえて、認めもらえて、喜んでもらえて、自分も充実感を感じる。
よくよく考えてみると、自分が子どもの頃の感覚と同じなんですね。
レゴやガンプラを夢中で作っていたあの頃のような感じ。

自分には子どもが2人いるんですけど、上の子が小学生、下の子が幼稚園。小さな子がいる家のお約束でもあるかな?毎日片付けても片付けても散らかっています。。。
でも別にいいんです。やっぱり親子だからなのかな、うちの子どもたちもテレビゲームより、何を使って遊ぶのが好きみたい。お絵かきとか、工作とか、そういうことを夢中でやってるんですね。

たまにそんな姿が、幼い頃の自分と重なります。
目の間にあるものに無我夢中で何かを作り出そうとしている姿。きっと自分もこんな子どもだったんだろうなあ。
よくよく考えてみると、目の前のものに夢中になって、いろんな素材で、お客さんに喜んでもらえるものを作るっていうのは、当時も今も変わっていないんです。

ふいに、今こうしてアクセサリー作りを仕事にできていること、こういう生き方もあるんだよっていうことを、子どもの頃の自分にそっと教えてあげたいなって思うことがあります。
買ってもらったおもちゃをバラバラに分解して、元に戻せなくなって、親に怒られて、わんわん泣いてる子どもの頃の自分に、「大丈夫。大人になったって同じようなことしてるからさ」って。

そしたら、どんな顔するんだろう。きっと何を言われてるのかわかんない、って顔するんだろうな(笑)。

 

AJINAのアイテムがちょっとだけ特別である理由

自分の作ったものが一番かっこいいって思うときもあれば、逆にこんなのダメなんじゃないかって落ち込むこともたまにあります。
でも、時間をかけて、手を動かして自分が作りこんだものだから、絶対にいいものだって胸を張れます。

こだわりってそういうことですよね、たぶん。
素材とか、作り方とか、そういう話ではなくて、心意気の話なんじゃないかな、って。
そして、それはことばで伝えるんじゃなくて、自分が作った商品でお客さんに届いて欲しいなって。

こんなこだわりでいいですか?

 

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